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お知らせ

博士研究員の大内斎之さんによる『臨時災害放送局というメディア 』が出版されました。

2018年12月19日

現代社会文化研究科博士研究員の大内斎之さんが『臨時災害放送局というメディア 』(青弓社、2018年)を出版しました。

著者紹介

 1983年7月新潟テレビ21(テレビ朝日系列、新潟県では4番目の民放局)に入局、報道記者として、警察、県政、スポーツ、報道デスク、編成にて著作権等法務の仕事に携わる。その後、報道部長を経て、2011年8月に退職。2012年新潟大学大学院現代社会文化研究科に入学、2014年学術修士、2014年4月から新潟大学大学院現代社会文化研究科博士後期課程、 2017年3月博士論文「災害復旧・復興期における臨時災害放送局の実態研究」で博士号。2017年4月から新潟大学人文学部にて博士研究員兼非常勤講師、2018年4月から明星大学人文学部人間社会学科非常勤講師2年と3年の特別社会学研究を担当。
 専門は地域メディア学、臨時災害放送局論、マス・コミュニケーション論、災害社会学、災害情報論、メディアリテラシー等

内容紹介

 地震や洪水などの大きな災害時に、被害を軽減するために設置されるラジオ局である臨時災害放送局。東日本大震災で注目され、2016年の熊本地震や17年の九州北部豪雨でも設置された。コミュニティFMとの違いなど基本的なポイントを紹介したうえで、東日本大震災後に作られた宮城県や福島県の臨時災害放送局をフィールドワークして、行政情報や生活情報などをどう発信したのか、実態調査の成果を明らかにする。国主導で進められる復旧・復興に対して、被災地の人々を結び付け、要望をすくい上げる臨時災害放送局の役割を浮き彫りにして、災害復興と放送・メディアの今後のあり方を指し示す。

著者からのメッセージ

 2011年3月11日にテレビで見た津波が、これまで経験したことがないほど私を揺り動かした。このままでいいのかという、客観的に災害を見るのではなく、主観的に災害と向き合うべき、今考えるとなにかに取りつかれたような、東日本大震災に対する当事者意識が私を突き動かした。そして2011年8月に28年間勤めてきたテレビ局を退職し、東日本大震災の臨時災害放送局を必死になって追いかけてきた。当然のことながら、ラジオ局の放送内容を調査研究することは、保存されていない限り困難さが伴う。本書では宮城県山元町の「りんごラジオ」、福島県南相馬市の「南相馬ひばりFM」、福島県富岡町の「おだがいさまエフエム」の3局の臨時災害放送局を取り上げたが、このうちの福島県との県境にある宮城県山元町の臨時災害放送局、「りんごラジオ」では、放送した項目すべてを手書きで保存していることがわかった。しかもそれを公開してくれるという。そこから私の宮城県山元町通いが始まった。新潟市と山元町との往復距離は、約550㌔でおよそ8時間の道のりだ。2012年から4年間にわたって山元町に通った。りんごラジオが放送し、本書で取り上げた放送項目は、14,261項目にのぼった。それを行政情報や音楽、生活情報、イベント情報(町長や被災者への)インタビューなど項目ごとに分類し、項目量と時系列で放送内容をまとめたのである。放送内容をここまで明らかにしたものは、見当たらない。
 災害は常にレアケースといわれるほど、同じ災害はない。今後とも予想される災害に対して、本書では3局でしかないが、こうした詳細な放送内容を蓄積していくことで、今後に設置が予想される臨時災害放送局の放送設計に寄与し、またこうした蓄積が公共的な価値を生み出すものと期待している。
 博士論文をまとめた本を出版したことは、研究生活のスタート台に立ったにすぎない。これまでに新潟大学大学院現代社会文化研究科では、さまざまなことを学んできた。その時には気がつかなかったことや、手の届かなかったこと、遠くむこうにぼんやりと霞んで見えていたことが、なんとなく身近に感じられるようになってきた。
 私自身は微力でしかないが、地道に研究を続けることで、少しでも被害の軽減につながればと願っている。